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YASUKUNI BRIDES~友と共に花嫁になりたくてHoping to be brides with my friend at YASUKUNI

Yちゃんと2人して、神様のところにお嫁にいこう

We’d become the brides of YASUKUNI together.

私とYちゃんが初めで出会ったのは、もう34年も前、14歳の時でした。当時、厚木市の郊外の中学校に私は通っていて、そこにYちゃんは川崎の市街地から転入してきました。彼女のかわいらしさ、色の白さ、垢抜けぶりは群を抜いていました。どんな友達でも選べたでしょうに、彼女はわざわざ、当時いじめられっ子で孤立していた私を選んで「お友達になって」と、声をかけてくれたのです。

「私なんかといるといじめられるし、やめたほうがいいよ」

そういう私にYちゃんは言いました。「そんな明美ちゃん(未明の本名)だからよ。私はね、たった一人の信じられるお友達が欲しいの。あなたは寂しさや辛さを知っているし、きっと誰かを必要としていると思ったの。だからあなたを選んだのよ。漫然とみんなと仲良くしたり、誰も親友がいないなんていうのより、たった一人の、信じられる親友と一緒にいたいわ」

彼女は、14歳にして既に、孤独や絶望、勇気や思いやりを身につけていました。それから4年、彼女は私と花火のように鮮烈な思春期の数年を共有してくれたのち、18歳でこの世を去ってしまいます。大学は密教系の全寮制の宗教の学校を選び、これから修行に入るといっていた矢先でした。以前から長く生きたくはないと言っていたYちゃんでしたが、その気持ちを止めることができなかった自分を、どれだけ悔いたかしれません。Yちゃんのお母さんの気持ちはそれ以上だったでしょう。Yちゃんの前に、お母さんは長男も事故で亡くしているのです。私もお母さんも、Yちゃんの命日である6月10日が来るたびに泣いて、泣き続けました。お互いに「元気?」と始めても、あとは言葉にならないのです。そして、泣いてしまって仕方がないから、来年はお話がしたいねえ、と言いながら、もう30年の年月が経ってしまっていたのです。

今年は、「Yちゃんとの関わりを本にしたい」と、私が志して30年ということになります。その本は、去年やっと出すことができました。そして、私は思いもしなかった結婚をすることになったのです。ならば、2013年からは6月10日の命日を泣くのでなく、6月9日を、「神様にお嫁にしていただいた日」に変えて、Yちゃんを思い出す日にしたかった。そう思ってYちゃんのお母さんに、6月9日に靖国で挙式させていただけると決まったこと、Yちゃんの遺影を持って列席いただきたいと連絡をしました。お母さんは、泣いて「ぜひ伺います。ありがとう」と言ってくれました。私は、本当にありがたいと思いました。お母さんは、私がYちゃんについて書いたことを本にすることも許してくださり、二人して神様のところにお嫁にいきたい、という気持ちもわかってくださった。あとは、できるだけ思い出深い日にできるよう、精一杯準備させていただこう、そう私は思いました。


靖国でみんなつながっている

Everyone relate at YASUKUNI.

それにしても、靖国にご縁をいただくようにして、私は随分いろんな方にお目にかかりました。小堀先生、西村先生、三宅先生はもちろん、やはり遺族会の活動を続けられている中條高徳先生。拉致の街頭演説のお手伝いをしたとき、私の前に演説されたのが先生で、それがきっかけでお世話になりました。その後、靖国でお目にかかることが重なり、「ご縁のある人は、靖国でみんなつながっているんだな」と思わずにいられませんでした。

8月15日の参拝の時に、東條英機さんの御孫さんである由布子さんにも靖国の境内で出会い、「未明さんですよね。ファンですよ」と言っていただきました。それぞれの方に偶然出会っていることが本当に不思議でした。

©All Photos by Naoto Ohkawa.

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